二面性を持つ中国どこへ・危機(2)–火山口の上の繁栄

清のラストエンペラーの時代、つまり100年前の1910年6月5日、清国政府は、南京で中国初の全国的な博覧会“南洋歓業会”を盛大に開催しました。近代中国最大の共産作家、茅盾も、中学時代に見学。その鮮明な記憶を数十年後、本に記しました。

見学後、古本屋や革命烈士の記念碑など、南京をめぐった思い出は、茅盾にとって中学時代一番の宝になったのです。

しかし茅盾少年も思いもよらなかったことに、この頃すでに、清王朝の崩壊が迫っていました。

翌年、つまり1911年、清国政府への反対運動が全国を席巻。10月10日の武昌蜂起で、260年余り統治した清王朝が終わりを告げます。

しかし王朝の崩壊間近の前夜、清の統治者は、自らの統治にまだ十分な自信を持っていました。博覧会では特別な安全検査がなく、庶民もこれで生活が不便になることもなく、お祭りムードに浸っていました。そこで思わず連想するのが、100年後、南京から280キロ離れたところで行われたもう1つの盛典――上海万博です。

十数年前、強制立ち退きに遭った周雪珍さんは、陳情したため何度も投獄されました。しかも万博の際、周さんが外国人に会うのを恐れた当局は、引越しを迫りました。

同様に政府が催した博覧会ですが、主催者の心境は違っていました。中国共産党は、崩壊寸前の清国政府よりも不安が強いようです。お祭りムードの中で感じた危機感や重圧が、百年前の清国政府よりも直接的で緊迫感があったからかもしれません。

2010年5月、中国の全国各地では、万博に劣らぬ、激しいストの嵐が吹き荒れました。

5月1日、山東省棗荘市の万泰集団。

5月4日、南京市の新蘇熱電公司。

5月5日、深セン市の金属プラスチック工場(百達五金塑膠廠)。

5月16日、江蘇省無錫市のニコン工場。

5月17日、広東省仏山市のホンダ工場。

5月20日、江蘇省崑山市でスト(国有錦港集団)。

5月24日、重慶市でスト(綦江歯輪伝動公司)。

5 月26日、上海シャープ工場。

5月27日、北京でスト(北京凱萊大酒店)。

共産党政権は90年代初めから、ある特殊な言い方を発明しました。集団的事件です。これは何を指すのでしょうか。様々な社会の矛盾に対し、民衆が共同で行う抗議や反抗、つまり社会の騒乱です。今日の中国では、激しい集団的事件はストに限らず、貴州省の一万人規模の暴動から、湖北省で起きた市民7万人と警察のにらみ合いなどもあります。近年、その勢いは増すと同時に、暴力もエスカレートする一方です。

2010年中国政府の“社会白書”とその他の資料によると、1993年中国の集団的事件は8,700件。2005年は8万7,000件、2006年は9万件を超え、2008年は12万7,000件、2009年には23万件にまで激増しました。

実は、中国人の苦しみや屈辱に耐える力は、世界でも指折りです。少しでも逃げ場があれば、中国人は怒りをこらえて我慢するでしょう。穏やかな生活を守るために。では、何が彼らをここまで追い詰めたのでしょうか。

では、時間の針を12年前に戻しましょう。多くの人に忘れ去られた映像から、この10年余り、中国人が歩んできた正義を勝ち取る道を振り返ります。ここから、答えが見つかるかもしれません。

1999年4月25日、北京市府右街の中南海の両側には、穏やかな表情で静かにたたずむ人であふれていました。国務院に平和的な陳情に来た法輪功学習者です。その数、1万人余り。政府に対し、いわれもなく拘束された天津市の学習者の解放や、法輪功書籍の出版、合法的な煉功の環境などを求めたのです。しかし、この平和的な陳情に対する共産党政府の回答は、2ヵ月後の法輪功弾圧でした。ここから始まった法輪功学習者への迫害は、今日まで続いています。

しかし、法輪功学習者の境遇は孤立したものではなく、この後2000年から、中国には大量の民衆が陳情に訪れる現象が出現。2008年まで、年々増えています。

こちらは中国最高人民裁判所の前で野宿をする陳情者たちです。では、はるばる北京に足を運び、陳情をした末の結果とは?

政治評論家 文昭

90年代末から2000年初めの数年間、この間多くの陳情者は、地位の低い官僚たちのせいで自分たちが苦しんでおり、地方のトップと中央政府は清廉だと信じていました。

数年経った今、彼らの声が上に届いていないはずがありません。しかし公正な判断どころか、陳情の行為そのものが締め付けに遭いました。メディアも報道できません。

中国の陳情者が一縷の希望を持って陳情を続けていく中、時は流れ、2003年、2004年になると、中国各地で大規模な権利を守る運動が発生しました。

強引に土地を奪われた農民。生きる権益を求めるリストラ労働者。取り壊しから自宅を守ろうとする都市住民。彼らの集団的事件は、規模、頻度共に改革開放以来かつてないレベルに達しました。

立ち退きによる惨劇は、まず2003年8月22日に起きたある南京市民の焼身自殺。中国各地に林立する高層ビルの陰には、多くの立ち退きに伴う惨劇がひそんでいます。

2009年11月13日、四川省成都市金牛区の企業家、唐福珍さんは、暴力的な立ち退きに抗議するため、いわゆる違法建築の3階建ての自宅の屋上で、焼身自殺しました。

評論家 文昭

現在中国国営メディアも、暴力的な立ち退きを報道し、被害者にも同情的です。これはいわゆる、世論誘導の新たな手段です。誰もが議論するほど、ある矛盾が拡大して、もう避けられなくなった時に報道します。しかし原因を表面的なもの、地方政府に求め、中央政府や制度は素晴らしいというのです。

こうすると庶民は、進歩的な政府だと勘違いし、根本的な原因を追究しなくなってしまいます。社会の重大な問題で沈黙しないと、中央宣伝部も認めています。問題は、土地の所有権と使用権の矛盾にありますが、根本的な原因は不公平な制度です。つまり、政府は公民の土地の所有権を認めていません。

2008年に入ると、中国の集団的事件に大きな変化が生じます。参加者が激増し、暴力の激しさも一気に増しました。

ほかにも、集団的事件の注目すべき特徴があります。事件のきっかけはごく一部の人が受けた屈辱的な行為なのに、それとは無関係の数多くの人が、被害者のために怒り、糾弾し、警察の暴力に立ち向かう点です。これは中国の60年の歴史で、ほとんど見られませんでした。

政治評論家 文昭氏

ある人の経験が、これほど大きな反響を呼ぶのは、多くの人が似たような経験をしているほか、適切な対応をしてもらえなかったからでしょう。よって、政権への怒りがすでに、ちょっとしたきっかけで爆発するまでに達しているのです。

中国の過去10年、庶民の権利を守る道を振り返ると、個人の陳情から土下座、自殺、自傷行為、焼身自殺、最後には政府への暴力的な抵抗、警官殺し、裁判所の爆破にまで発展しました。ではなぜ、権利を守る行為が非暴力から暴力に発展し、激しさも増しているのか。原因は簡単です。当局は彼らの訴えを、公平にまともに対応しないからです。

包拯とは、権力にこびず、神のごとく事件を裁いた北宋の名裁判官。その公正さが何よりも慕われましたが、今の中国人は、包拯の物語を語る気分にはなれないようです。なぜなら、庶民にとって、包拯とその公正さは、とうとうと流れる河の水のごとく、2度と戻ってこないものかもしれないからです。公正さへの希望を失った弱者たちが社会と触れる時、卑屈になるか、あるいは狂気へと突っ走ります。

2007年4月10日、北京市中級裁判所は、都市管理局(城市管理局)の李誌強隊長を殺害した罪で、無許可の露天商、崔英傑被告に死刑と執行猶予2年を言い渡しました。2006年8月11日午後4時、路上で、焼いたソーセージを売っていた崔被告は突然、取締りのパトロールに遭遇。無許可営業の崔被告は、これは一巻の終わりだと気づきます。

崔被告は“車だけは勘弁してほしい”と相手にすがったものの、その10分後、借金して買ったばかりの三輪車がトラックに入れられました。すると突如、刃渡り11センチのナイフを抜いて、李誌強隊長の鎖骨と喉の間に突き刺します。そして現場から逃走。この後、隊長は救命の甲斐なく、死亡しました。

崔英傑被告は一体なぜ、1台の三輪車のために凶行に及んだのでしょうか。

2003年山東省出身の崔被告は、優秀な成績で軍を退役すると、北京のカラオケ店に警備員として、夜中の2時から朝10時まで毎日勤務しました。

判決後、崔被告は面会した弁護士に、両親への言付けを頼みます。“まず、兄貴には、北京の仕事をやめて実家へ帰らせてほしい”“後、お袋はもう年だ。もう石炭掘りはやめてほしい”

崔被告は、悪の限りを尽くす悪人どころか、逆に親孝行で、仕事も真面目な青年でした。しかし、このような平凡な人間が殺人犯へと変貌したのです。我々はここから、ある思いに駆られます。今日の中国では、崔被告と似たような境遇の若者に限らず、ごく普通の市民が、だった一夜で狂気に走るかもしれない……。では、中国の最近のニュースを見てみましょう。

16歳の少年が陳情を妨害する役人を刺殺

立ち退き反対の農民女性が焼身自殺

河北省一家惨殺事件 司法に苦しむ被害者

立ち退きに徹底抗議 自制のロケット砲で自衛

千人が跪き腐敗反対を懇願

立ち退き担当役人を現場で刺殺

警官600名 力ずくで土地を奪う

広州市 包丁購入に実名制を試験導入

陳情10年 あふれる流浪の

政治評論家 文昭

改革開放30年で、中国には、実に多くの複雑な社会の矛盾が生まれました。これは、社会の公平や正義を捨てる、共産党の経済路線と関係します。現在、多くの貧しい中国人の心には、“怨”の字があります。無念や不満、やりきれなさ、何よりも絶望です。今の中国社会の主な矛盾は、“公平の欠如”から原因を探せます。

例えば国有企業改革。社会主義経済による赤字や効率の悪さから、私有化が余儀なくされました。体制の変化による活性化が狙いでしたが、この過程で具体的に関与し、利益を得たのは、政府の官僚と企業経営者などの既得権益層で、本物の企業の主である、大量の従業員は排除されました。

あと年金や医療改革。これも政府は責任を社会に押し付けました。政府は給料を抑える代わりに、これらの財政負担をするという数十年来の約束を放棄して、もともと収入の低い庶民に押し付けたのです。

暴力的な取り壊しと立ち退きも同じです。これも開発業者と地方政府が結託して、庶民から力ずくで土地を奪います。中国の経済発展の過程では、権力者は手中の権力を利用して、利益やカネを得る一方で、数多くの権力からかけ離れた庶民は、自ずと犠牲者になりました。実は、この過程そのものに、公平と正義の基礎がないのです。

ある社会がモデル転換をする際、特に利益分配の構造に大きなメスを入れる際、変化に伴う社会の混乱は避けられないという意見もあります。確かに、そうかもしれません。しかし、“政権維持のためなら正義を犠牲にする”という共産党政権の改革路線は、決まって、解決不能な苦境を生み出してきました。

もっと心が痛むのは、解決不能の範囲があらゆる面にわたっている点です。共産党は執政者として、この苦境から抜け出せないほか、何よりも中国は1つの民族として、このような道を歩む過程で、生態環境から、社会、経済構造、さらに文化から倫理道徳までが総崩れになりました。

我々がこの社会を血の通った命だと見なせば、この命は今の苦境から逃れようという本能が出てくるはずです。そして終いには、複雑極まりない要素と、特に共産党統治と衝突することになります。

では2010年のストの波を振り返りましょう。中国全土のストの波は、まれに見る広がり方を見せました。

まず5月17日、広東省仏山市のホンダ部品工場の従業員数百名が、給料と福利厚生に不満でストを発動。これはたちまち付近の工場のストを招きました。

ストは、珠江デルタ全域に広がっただけではなく、北は長江デルタ、さらに北京、天津、蘇州、四川、重慶、雲南などの数百社の日系、外資、中国企業にも及び、最後、6月2日、ストの震源地、ホンダのストは従業員の勝利で終了。24%の昇給を勝ち取ったのです。

では、この成功モデルは、長期的に発展し、続いていくのでしょうか。さらには中国全土に広がり、中国人労働者の待遇を改善し、劣悪な労働問題を解決できるのでしょうか。

米サウスカロライナ大学 謝田教授

中国は輸出大国です。中国の輸出入は、国内総生産GDPの40%を占めます。60~70%に達すると指摘する学者すらいます。中国の輸出の牽引役ですが、1つは安い労働力です。もう1つが環境汚染対策に対するコストが低い点です。

ただし給料が上がれば、安い労働力という中国のメリットは薄れます。言い換えれば、中国の輸出する製品が、インド、インドネシア、タイなどの国との競争に直面することになります。だから、給料アップは労働者にとっては良いことですが、共産党政権から見れば、経済発展の維持、経済成長のスピードに対し、不利な要素となるでしょう。

改革開放から30年。輸出加工型の経済モデルは、かつて、中国経済に巨大な発展をもたらしました。原因のひとつは、都市が農村からの労働力を大量に吸収し、農業よりも利益の上がる工業活動を行ったことです。しかし、このようなことは1度きりで、長期的な経済発展は望めません。事実、この経済モデルは中国経済にすでに大きな悩みのタネをもたらしました。

中国経済にはモデル転換が必要です。労働搾取型から創造的な経済へ、消費経済への転換です。つまり研究開発能力を育み、ハイテク産業を育てて、消費市場を築くこと。このモデル転換は、どの国にとってもたやすくはないものの、常に政権危機に直面している中国にとっては、達成不可能な任務にすら見えます。

アメリカのブッシュ前大統領の回顧録、“決断のとき(Decision Point)”によると、2008年の米中会談の際、胡錦濤主席に“最も気がかりなことは?”と問うと、胡錦濤主席は“毎年2500万の雇用を創らなければならないこと”と答えたそうです。

NY市立大学シティカレッジ 陳誌飛教授

これは本当です。ご存知のように、共産党政権の正当性には、疑問の声が強まっています。GDPの二桁の成長率、それがもたらした中国の雇用率は、社会の安定と、共産党統治の最も重要な保障です。これがなければ、共産党はたちまち崩壊してしまいます。

輸出加工型の企業は、中国経済にとってどれだけ大切なのでしょうか。今までのところ、中国の輸出はGDPの37%で、大半は、労働集約型の加工業が占めています。

だから共産党はこれを失いたくはないはずです。ただし輸出型の経済は、すでに多くの弊害をもたらしました。共産党は少しも変化を望まないわけではありませんが、その力がないのです。自分の政権を守れなければ、ほかは何の意味もありません。共産党にとって、もう別の選択肢はないのです。

労働搾取型工場と政権維持の関係は、単なる経済分野の例に過ぎません。実際、改革開放の30年来、政権維持の危機にさらされ続けている共産党は、ある特定の方向へとまっしぐらに向かっています。

厳密にいえば、自ら望んで何かをするのではなく、毎回、やむをえずに何かをやるのです。今日までに、中国社会はほとんど全ての正義を失いました。正義のない社会は今、社会の一人ひとりに悪影響をもたらしています。

結果、今日の中国では、悲劇が絶えません。警官幹部の息子のひき逃げ、フォックスコンの連続飛び降り事件、警官殺傷事件、裁判所の爆破事件など。これも陳情、土下座、焼身自殺から警官殺害、裁判所爆破と、正義を求めた庶民が行き場を失った結果です。これに対し、共産党政権は問題解決の道を選びませんでした。

なぜなら、これら一切は解決不可能だと共産党自身が分かっているからです。危機と共存せざるをえないため、中国は政権維持のために巨額の費用を投じています。

清華大学・社会発展研究課題チームによると、2009年共産党の治安維持費用は、5,140億元(約6兆4000億円)で、すでに5,321億元(約6兆6千億円)の軍事費に近づいています。

しかも、“公共安全”の支出は、財政支出の中で、最も伸びがすさまじく、47.5%。中国は、社会の安定維持のためのコストが最も高い国のひとつ。地方官僚にとって、“社会の安定”の重要性は、すでに社会保障や医療、教育など庶民生活に直接関わる福祉事業をはるかに上回っています。

しかし、このように巨額の国家予算で無理やり社会の安定を維持するのは、圧力鍋にふたをしているのと同じです。時が経てば、鍋の中の水もなくなり、下から激しく燃え上がる炎が鍋をのみこみます。ここまできたら、鍋のふたは全く意味を成しません。

これまですでに、生態環境の行方や追い詰められた市民生活を見てきました。続いては、民族の魂、社会の潤滑油であるモラルを見てみましょう。

2500年前、中国史上傑出した2人の思想家が、洛陽の東に位置する瀍河で出会います。孔子が老子に教えを請いた、あの歴史的場面です。孔子が老子に尋ねたのは、中華文明が生んだ輝かしい思想。

老子が“道徳経”を残した一方、孔子は仁義を説きました。これはその後、2000年余りも脈々と受け継がれ、礼儀の国――中国の重要な基礎となります。

今日の中国で、比類なき思想と文化を持つ中華民族は、どのような気質と姿で世界の東方にたたずむのでしょうか。

古都洛陽(中国)を詠む

海外を漂う旅人の心、遥かなる中国へ向かう

常に思うは老子と孔子の出会い、しかし今穢れが中国を覆う

移ろい激しい世の中、虚像に包まれた庶民生活

日は暮れ繁華も去る、黎明が中国を清く照らす

――文昭 庚寅10月18日

カナダ・トロントにて

 

 

 

 
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