「2020年1月に北京ですでに死亡者が出ていた」北京の元医師

北京のある大手病院の元呼吸器内科医によると、中共ウイルスの発生初期の昨年1月中旬に、北京ではすでに中共ウイルスに似たような症状の患者を受け入れたことがあり、2日後に死亡したといいます。しかし、公式発表では当時、北京市の死亡者数はまだゼロでした。

趙楊さんは北京のある大手病院の呼吸器内科の元主治医でした。趙さんは新唐人テレビの取材を受けた際に、勤めていた病院では2020年1月に、中共ウイルスに感染した疑いのある患者を受け入れたことがあったと明かしました。しかし、当時の公式発表では、北京市の感染者数はゼロでした。

北京三級医院の元呼吸器内科医 趙楊氏
「その患者は1月16日頃に私たちの科に入院し、18日に集中治療室に移されたが、当日夜に亡くなった。彼の発症から死亡するまでの過程が、中共ウィルスの発症過程と非常に似ていた」

当時、病院側は「ポリティカル・コレクトネス」のため、この患者の症例について引き続き追究することはしなかったといいます。

北京三級医院の元呼吸器内科医 趙楊氏
「決して個別ケースではない。1月当時、病院には北京市衛生健康委員会の指示が通達された。疫病に関する情報は自分の家族に対しても漏らしてはならないと言われた」

インターネットの自由のない中国で、趙さんはしばしばネット封鎖を突破し、民主主義と自由に対して支持を表明していました。そのため、周りから反体制派と見なされていたといいます。趙さんは部門のリーダーでも中心的人物でもないのに、感染が爆発的に拡大していた武漢に医療支援者として派遣されました。

北京三級医院の元呼吸器内科医 趙楊氏
「彼らは武漢に派遣する機会を利用して、私を困らせようとした。私は死ぬのは怖くないが、こんな風に犠牲になるのは無意味だと思った」

さまざまなことを考慮した後、趙さんは辞職を決意しました。そして、今年2月に米国に渡りました。渡米後、ツイッターに投稿したコメントが原因で、中共当局は趙さんの家族を探し出し、趙さんを引き渡すよう求めました。このことで趙さんの母親は心臓発作を起こしました。

北京三級医院の元呼吸器内科医 趙楊氏
「私はすでにこの国から逃げ出している。それでも彼ら(中共)は依然として私の口を閉ざさせ、私を迫害しようとしている。人々が勇気や良心がないからでなく、中共はこのような恐ろしい方法を使うため、人々は中共の暴威に恐れをなして本音を言えないのだ」

今年の天安門事件の記念日に、趙さんは、医療関係者に対する中共当局の迫害に注目するよう米国政府に呼びかけました。そして国際機関に対しては、中共ウィルスの真実について徹底的に調査するよう促しました。

 
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